地異さな恋の物語2
二人の同居生活はまずまず上手く行っていた。
ザックスは空き部屋の掃除をして、何処からか安い簡易ベッドを買ってきて好き勝手に部屋を弄繰り回していたし、クラウドはクラウドで今までと変わらずに仕事に出たりしてた。
何ヶ月保つか賭けをしようぜ、などと云っていたギャンブル好きのスラム住人の予想を覆し、二人の共同生活は既に半年目に突入していた。
クラウドが仕事で家を空けて帰ってくる。それと入れ違いにザックスが任務で家を空ける。その比率が二人には丁度良いペースでも有ったらしい。
これと云って大きな喧嘩も無く、日々は穏やかに過ぎて行った。
だが、ザックスにしてみれば一つだけ問題があった。
問題。それも、ザックスにしてみれば結構大きな問題である。
「なぁ、クラウド」
キッチンに立ってフライパンを握り、ベーコンエッグを作りながらテーブルで珈琲を飲むクラウドに声を掛けた。
もう、この半年で見慣れた光景になりつつあるそれは、この家に住むザックスに与えられた条件でもある。――家に居る時は、家事の一切を取り仕切こと。元々家事や料理が得意ではないらしいクラウドにとって、それらが得意な同居人が出来たのは喜ぶべき事で有ったらしい。ザックスも別に家事を苦に思っている様子も無く、家に居る時には率先して細々とした作業から何からをこなしていて、その様子にひっそりと、ソルジャーより家政婦の方があっているんじゃないか等とクラウドは内心で思っていた。
「なに?」
新聞に目を落としながらマグカップを傾け、クラウドが何気なく返事をする。その声はザックスの話を聞くよりも、スラム発行のインクの擦れた品質の悪い新聞の方に九割型向けられているようだった。
「俺たちってさ」
「うん?」
未だ新聞に神経の行っているクラウドに小さく嘆息し、ザックスはこんがりと良い具合に焼けたベーコンエッグを皿へと移しコトリと音を立てテーブルへと置く。
「クラウド」
「だから、何?」
フライパンを流しに浸し、二人分の朝食を用意したザックスはクラウドの興味を引く為にもう一度、今度は少し強めの口調で名前を呼んだ。丁度のタイミングでチンッという安っぽい音を立ててトーストがトースターから飛び出し、それをザックスが皿に取り分ける。
そこで漸くクラウドが新聞から視線を上げてザックスを見遣り、読み途中のそれをテーブルの端に放った。
「六ヶ月経ったよな」
フォークを手にしてベーコンを切っていたクラウドに言葉を投げると、一瞬考え込むようにその手が止まる。それからまた動き出し、切り分けたベーコンを口に入れる前に小さく頷きを返してきた。
「うん、そのぐらいじゃない? ザックスと逢った時、まだ寒かったから」
あっさりと頷いて返してきたクラウドにザックスは一瞬絶句し、手にしたフォークを無駄に動かしながら自分の皿に乗った卵を突付いて割る。濃い黄色い黄身がトロリと零れ、ベーコンの上に広がった。
「俺さ、お前のこと好きだって云ったよな」
行儀悪く卵を突付いたままザックスが呟くと、今度は僅かな間を置いてから小さな応えが返る。
「……うん」
「だからお前と暮らしたいって云って、OKしてくれたのクラウドだよな?」
勝手に一目惚れをして、強引に一緒に暮らしたいと申し出たのはザックスだ。けれど、それに頷いたのは紛れも無いクラウドで、その上部屋の提供を申し出たのもクラウドに間違いなかった。
今度の問いにはすっかりフォークを持った手を止めてしまったクラウドにザックスは前髪を掻き揚げ、フォークを皿の上へと放るとカシャンと高い音が響く。瞬間、割られ広がっていた黄身がテーブルの上に跳ねた。
クラウドがビクリと肩を揺らし、それからそろりとザックスを見る。薄いスカイブルーの瞳がどこか戸惑ったような色を宿し、言葉を探すように一度視線が彷徨った。
「……ええと、それは、そうだけど」
「俺がそう云った意味、解ってOKしたんだよな?」
多分ザックスが云わんとしていることは頭の隅で理解しているのだろう。ただ、何となくその話題を避けたいクラウドの雰囲気も伝わってきて、ザックスの口調がやや強いものになる。その瞬間、何時もは見せない魔胱独特な輝きを帯びたザックスの瞳に、クラウドが小さく息を呑んだ。
「……あれは、なんていうか……その場の、ノリっていうか……」
「その場のノリで、半年か? 俺はお前の都合の良い家政婦か、クラウド?」
「ちが、そうじゃないけど!」
もごもごと口の中で呟いたクラウドに皮肉めいて告げると、慌てたような否定が返って来る。内心その事に安堵しながらも、ザックスはクラウドの澄んだ瞳をじっと覗き込んだ。
「違うなら、今は? あの時はノリでも、今、俺をこの家においてるのは? 都合の良い家政婦じゃねぇならなんで?」
戸惑いを露わに揺れる綺麗なスカイブルーの瞳に映る自分を、まるで苛めっ子のよようだと思いながらザックスは言葉を紡ぐ。
だが今回、彼には多少は怒っても許されるような理由があった。
何故なら、今の生活が『同棲』ではなく完全な『同居』だからだ。好きだと告げ、受け入れられた筈の告白は何処に行ったのか。
冗談ではない。唐突ではあったけれど、あの時の告白はその何倍も真剣だったのだ。クラウドが頷き、この家に居ることを勧めてくれた時は踊りだしたいほど嬉しかった。それだけでクラウドを手に入れられたと勘違いしていた。
だのに、現実は真逆。
六ヶ月も共に生活をしていながらもキスの一つも交わしていない。ザックスが甘い言葉を囁こうとすればクラウドはするりと逃げてしまうし、だからといって無理矢理にどうこうしようと思うほどザックスも人でなしではない。
だが、六ヶ月。
流石に六ヶ月間もこの状態が続けば、健康な成人男児としてこの関係は何なのかと問い質したくもなる。
「俺の事、どう思ってるの?」
なるべく威圧しないように気を付けながら、ザックスは腰を上げるとテーブルに腕を突いてクラウドの顔を覗き込んだ。吐息が絡むほど間近に顔を見るのはこれが初めてで、やっぱり綺麗な空色の瞳だとザックスはぼんやりと思う。
一方のクラウドは、唐突に縮められた距離に戸惑ったように身体を引き掛け、椅子を引いて立ち上がろうとした所をザックスに押さえ付けられた。ただ肩に手を乗せられただけなのに、やはりソルジャーなのだと思わせる力だった。
「……俺……」
緊張からか、僅かに動かされた唇から漏らされた言葉は微かに掠れている。なんと答えるのが正当なのかを考えるような仕草でクラウドが柳眉を寄せ、ザックスはその様子に片眉を上げた。
「……俺のこと、好き? 愛してる?」
いっそのことストレートに。
そう思ってザックスは僅かに顔を傾け、キスをするような体勢で吐息ごと問い掛ける。するとクラウドが大きく瞳を見開き、次の瞬間、耳元まで真っ赤に染めた。
不思議な色合いをした蒼い瞳が、クラウドを真っ直ぐに見詰めていた。視線を外そうとしても、それを許さない真摯な視線を向けられてクラウドは息を呑む。
ザックスが云いたいことは解っていた。自分でもあやふやにしている事だと、内心少しは自覚していたからだ。
洗面所で顔を洗っている時、ソファで寛いでいる時、朝の新聞を読んでいる時、それとなくザックスはクラウドの傍まで寄ってきては耳元で吐息のような甘い囁きを落としていく。そして自分は何時もそれを笑ってかわし、もしくは聞こえない振りなどをして逃げてきた。
何故あの冬の夜に頷いてしまったのか解らない。
半年経った今ではザックスの居る生活が当たり前で、その事に疑問を持っていない自分に疑問を持つことすら忘れていた。
自分の気持ち。
「……俺のこと、好き? 愛してる?」
不意打ちのようにして、直球でぶつけられた言葉は見事にクラウドの頭にクリティカルヒットした。
寧ろ、リミットブレイク。
好き? 愛してる? 好き? あいして、る?
好きとはなんだろう。一緒に居て居心地の良いことが好きならば、クラウドは多分基本的にザックスが好きだ。
ならば、愛してるとはなんだろう。一緒に居て楽しくて、居心地が良くて、相手の願いを叶えてやりたいと思うことが愛している、という事だろうか。いや、それでは好きと同意だ。けれど、好きと愛しているを並列で問うてきたということは、同意とみなして良いのだろうか。
クラウドの頭の中で何かが凄まじいスピードで行き交っていた。
好きと愛してる。
好き、だとは思う。
愛している。愛しているっていうのは、この場合家族愛じゃなくて、多分恋人でいうところの愛している。――だって、ザックスは自分に一目惚れをしたと云ったのだから。
恋人。
恋人とは何だろう。キスをしたり、肌を重ねたり、睦言を交わしたり、そういう甘い関係らしいと聞いたことはある。聞いたことはあるが、寂しいことに恋人を持ったことの無いクラウドには今ひとつ現実味に欠けていた。
けれど。
――ザックスと、キス。
ふとキスされそうな今のこの体勢にそのシーンを想像してしまい、クラウドは耳まで赤く染め上げた。ザックスの唇が自分のそれに触れる感触を無意識に思い、顔全体が赤くなっていくのが自分でも解る。
当然赤くなっているのは間近に自分を見ているザックスにも安易に見て取れたのだろう、クラウドの動揺を察してかザックスが小さく吹き出した。
瞬間、唇に暖かい吐息が掛かる。
「……ぁ……」
不意に優しく触れた柔らかな感触に小さく声が漏れた。頤を軽く指を添えるようにして捉えられ、啄ばむように繰り返されるそれに初めてキスされているのだと気付く。
不思議と、嫌悪感は無かった。
クラウドの反応を見ているのだろうザックスは、拒絶の意思を見せないクラウドに口付けを僅かに深め、伸ばした舌先でそっとしっとりとした唇を辿る。応えることを知らない唇に、本当にキスも初めてだったのかとザックスが内心驚いていたことをクラウドは知らない。
ザックスは怖がらせないように少しずつ、少しずつ口付けを深めていき、顎に掛けた指に僅かばかり力を入れながら唇の割れ目へと忍ばせた。唇を押し開かれる感覚にクラウドは微かに身体を震わせ、慄かせた吐息と共に思わず唇を開くとそのままするりと滑った熱い粘膜が触れ合った。
「……ん、んっぅ……」
宥めるような優しい動きで舌を絡め取られ、ジンと感じたことの無い疼きが背筋を走る。僅かな息苦しさに鼻に掛かった声が漏れると、それはクラウドが想像する以上に甘ったるく部屋に響いた。
絡め取られた舌を吸い上げ甘噛まれる度にビクンと身体を震わせ、ぼんやりとしてきた思考に指先が支えを求めるようにザックスの肩を掴む。口蓋の裏を丁寧に這い、口腔の粘膜を優しく蹂躙する熱い舌の動きにザックスの気持ちが現れている気がして、クラウドは無意識にぎこちない仕草で舌を絡め返した。
やはり嫌悪感は無い。
寧ろ蕩けるぐらいに気持ち良いと感じてしまうのは、愛しているからなのだろうか。
やはり、良く解らない。けれどザックスのことは好きで、キスも嫌ではなくて、ならばこの感情をなんと呼ぶのだろう。
セックスをするだけのパートナーを持つ人間も多いと聞くが、クラウドは潔癖の気があるのかどちらかというとそういうのは好かないタイプの人種だ。
その自分がザックスから受けるキスを心地よく感じている事実と、それ以上に何時もより早鐘を打つ心臓に胸が苦しくなってクラウドは軽く眉を寄せる。
ゆっくりと優しい、けれど息を吐く間も無い口付けにクラウドの思考は9割停止の状態に陥り、そんなキスはそれからもう暫く、プレートの上のベーコンエッグが冷え切るまで続けられるのだった。
2006.09.11