地異さな恋の物語1


 
「ちょっと、聞いたかよ」
「あぁ、アレだろ? 凄かったらしいな」
「凄いっていうか、仰天モノだろうがよ」
「普通OKするか、あそこで」
 酒場の中はある一つの話題で大盛り上がり。
 客が店に足を運んだ理由の一つも、この話題を共有する相手が欲しいからとかそういう理由だろうと、店主であるティファは一つ嘆息を漏らした。
 忙しくてまだ本人に確認が取れていないのだが、この大騒ぎの気配からして噂は本物らしい。一体全体どういう思考回路をしているのだろうと呆れつつも、テーブルから新しい注文が入ったところで頭を切り替える。  それは、数時間前の出来事だった。

 ミッドガルといえど冬は寒い。
 ニブルヘイム出身のクラウドは寒さに強く、セーターにジーンズという薄手の格好で街中を歩いていた。
 吐く息は白く、その度クラウドの気分を楽しくさせる。子供の頃、ずっとこの現象が不思議で堪らなかった。馬鹿みたいに何度も何度も白い息を吐き出して、その度に自分が魔法を使っているような錯覚に嬉しくなったものだ。
 珍しく「何でも屋」も依頼が無く本日休業なのである。
 久し振りのオフに街の中をうろうろと散策し、空になっていた冷蔵庫の中身を思い出して市場での買出しも済ませた。これで、あと一週間は大丈夫な筈。大きな荷物を抱えたまま大通りを歩き、そこでふと視線を感じて足を止めた。
 視線の先には、黒い髪をした長身の男。瞳の色はメタリック掛かったブルーで、彼が神羅に所属するソルジャーだというのが直ぐに解った。見たところ武器は携帯していないようだが、ソルジャーの戦闘能力は非常に高いと聞く。
 ――俺、何かしたかな。今日はエンハンス持って来てないんだけど。
 オフだからクラウドも仕事の時は持っているソードを携帯していない。一般人のクラウドと、ソルジャー。もし此処で戦いになったらどちらが勝つのかは火を見るよりも明らかだ。
 だがしかし、ソルジャーに恨みを買うような所業をした覚えがクラウドには無く、この状況下でも首を傾げるばかりである。
 10フィートほど離れたところに佇むソルジャーもまた、黙ったまま此方を見ていた。作り物めいた光沢を放つ蒼い眼を気色悪いという人間も居るようだが、クラウドはそれを何となく綺麗だなと思い、視線を逸らすでも無く顔を見返す。
 続く沈黙は短いものではなく、その間も双方動くことが無い。
 何が始まるのかと野次馬たちが集まりだしてきたところで、先に行動を起こしたのは黒髪のソルジャーだった。
 野次馬たちもソルジャーには畏怖の念があるのか、彼が動く度に無駄にビクビクとしている。別に、彼らがターゲットになっていないにも関らず、だ。
 ゆっくりゆっくりとソルジャーの貫禄を漂わせながらクラウドの目の前まで来た相手の顔を臆することなく見返しながら、クラウドの頭の中は買ってきた食べ物が無駄にならないといいなぁ、などというどうでも良いような思考に囚われていた。
 間近な、クラウドの生まれつきのブルーアイとは違う、人工的な蒼い光を放つ瞳。やっぱりそれを綺麗だと思いながら、クラウドは頭一つ分自分より背の高い相手を見上げる。
「……あの、さ」
 先に口を開いたのもソルジャーだった。
 声も良い、とクラウドは思う。柔らかい響きを持つ、何処か人を安心させるような低いテノールだ。
「何?」
 クラウドが言葉を返すと、黒髪のソルジャーは応えを得られたことに少し安堵したように表情を崩し笑う。それが、また良かった。
 噂に聞いていたソルジャーとは随分とイメージが違う、とクラウドは思う。もっと凶暴で残忍で、人を人と思わぬ、それがソルジャーだと聞いていた。けれど、目の前のこの男からは何故か血生臭さが感じられない。まるで子供が笑うように、屈託の無い笑みを見せる。
「俺、お前に一目惚れしたみたいなんだけど」
「うん」
 何となく普通に頷いてしまったクラウドの代わりに、周りを取り囲んでいた野次馬たちがどよめいた。わーだの、きゃーだの、色々な奇声が辺りに轟いていたが、それすら気にならないぐらいクラウドの耳は目の前のソルジャーに意識が向いていたらしい。
 次に発せられた言葉も、するりと心地よく耳に流れ込んできたものだから、つい買い物を頼まれた子供のように素直にこくりと頷いてしまった。
「俺と一緒に暮らさないか」
「うん、良いけど」
 答えた瞬間、まだ名前も知らないソルジャーの長い腕が伸ばされて、そのまま広い胸の中に抱き竦められる。
 更に大きなどよめきが野次馬から沸き起こり、あたりが騒然となっていたが、そんな事よりもぐしゃりと卵が割れる感覚が伝わって、クラウドはそちらの方がやや気になっていた。
 
 「それで」
 なんとなしに野次馬の輪を抜け、家路に着きながらクラウドは口を開いた。
 抱えた紙袋の中の卵はやはり潰れてしまったらしく、底の方になにやら冷たい感触が有った。
 隣には頭一つ分高い黒毛のソルジャーが肩を並べている。
「ん?」
「一緒に住むって云うのはさ、何処に住むの?」
 至極尤もな質問をしながら隣の顔を見上げると、魔胱を宿したブルーアイが僅かに泳いだ。考えていなかったのか、とクラウドはぼんやりと思って挙動不審気味なソルジャーを眺める。
 どうも、このソルジャーは噂で聞く「ソルジャー」とは一味違うらしい。良い意味でも、悪い意味でも。良く云えば屈託無く関りやすい。悪く云えば、何処か抜けてるのだ。
「ええと、だな」
「うん」
「本当にその……一目惚れだったんだ」
「うん、聞いた」
 しどろもどろに投げられる言葉に間を置く事無く答えながら、クラウドは辿り着いた我が家の前でジーンズのポケットからキーを取り出した。スラムではそんなものは有って無いような代物だが、気持ちの問題だとクラウドは思っている。
 鍵穴にキーを差し込んで廻すと、カチッという金属音が響き、そのままドアノブを廻して部屋へと足を踏み入れた。
 部屋の中ほどまで入ったところで玄関で佇んだままのソルジャーを振り返り、クラウドは呆れたような溜息を吐く。一応は遠慮しているらしい。
「入れば?」
「……あぁ、うん。お邪魔します」
 やたら丁寧なところが彼らしい、と数十分前に出会ったばかりの男に対してそんな感想を抱いた。
 適当にやってて、と云ってクラウドは抱えていた荷物を冷蔵庫の中に詰め始める。そんな様子に所在無げに視線を彷徨わせていた背の高いソルジャーは、ダイニングテーブルの椅子を引くと漸くそこに落ち着いたようだった。
「俺さ、スラムに住みたいんだ」
 あぁ、やっぱり卵が割れてるし、とクラウドがぐしゃぐしゃになったそれを眺めていると、背後からそんな言葉が耳に入る。このソルジャーは、やっぱり一風変わっている。
 誰もが憧れるプレートの上。ソルジャーともなればそれなりの施設が用意されているだろうし、何不自由なく生活が出来る筈だ。それを、何が楽しくてわざわざスラムに住みたいと云うのだろうか。
「上の方がイイ生活できるんじゃないの?」
 それとなく聞きながら、割れた卵だけが残った紙袋をぐしゃりと潰してゴミ箱へと放り込んだ。ガサっと紙袋がゴミ箱の中に吸い込まれ、ビニール袋とぶつかる音が響く。
「上はイイって思う奴にはイイんだろうな。不自由ないし」
「なら、上で暮らせば?」
 潰れた卵の所為で汚れた手を流しで洗い、適当にジーンズで拭いながらダイニングテーブルを振り返ると、自分の事をじっと見詰めている真摯な瞳にぶつかった。その視線も、また良い。
 ドキリと無意識に胸が高鳴り、クラウドは誤魔化すようにくしゃくしゃとまだ生渇きの手で跳ねた金髪を混ぜた。冷蔵庫を空けるとビールを2本取り出し、一本をテーブル越しの相手へと渡すと、自分の分のプルトップを空けて向かいに腰を下ろす。
 魔胱の光を秘めたメタリックのブルーと、穏やかな深いブルーの瞳が絡みぶつかった。
「俺、普通の生活がしたいんだ」
 受け取ったビールに礼を云ってから、黒髪のソルジャーはそう云って笑う。
「上での俺たちは、人間じゃないから。此処なら、人間で居られそうだろ? 少なくても、お前と居る時は楽しい時間が過ごせそうだし」
 屈託無くそう告げられた言葉は、けれど何処かに深い深淵を覗かせた。ソルジャーとは、それほどまでに大変なものなのだろうかと、目の前の男の顔を見ながらクラウドはぼんやりと思いを馳せる。
「クラウド」
 ポツリと呟くように、唐突にクラウドはそう言葉を紡いだ。
 それに驚いたように目の前の魔胱色の瞳が瞬かれ、それからその意味を察したようにまたクラウドが好きだと感じたあの笑顔を見せる。
「クラウド、な。俺はザックスだ。……宜しく、って云うのもなんか変だな」
 切っ掛けを作っておきながら、この男もこの出会いを可笑しなものと感じているのだろうか。何だか不思議な人間だ、というのがクラウドの正直な感想だった。
「スラムに住むの?」
「うん」
「俺と一緒に?」
「うん。駄目かな? 良いんだったら、ちゃんと家探すし。あ、と云っても仕事とかで家を空けたり、仕事で上に行かないとならないこともあるんだけど」
 可笑しな出会い、可笑しな展開、けれど当人は至って本気らしい。
 そして、クラウドもなんとなく、違和感無くこの現実を受け入れていた。
「なら、此処に住めば? 空き部屋あるし。俺も仕事で居たり居なかったりだけど」
 なんとなくそんな申し出をしてしまったのは、目の前の男――ザックスのあの笑顔が見たかったからだろうか。
 そんなクラウドの予想に反する事無く、ザックスは一度驚いたようにその瞳を見開き。クラウドがそう云ってくれるなら、と例の屈託の無い子供染みた笑顔を見せて笑った。




2006.09.11