唄う君へのラプソディ


 
 「ねぇ、ちょっとクラウド!」
 ティファに呼ばれて作業の手を止めると、教会の奥に集まった子供たちに囲まれ長い髪を靡かせた彼女が大きく手招きをしていた。
 自分から今日の補修を云い出したくせに、作業をしているのは自分だけ。勿論補修することに異議は無いが、子供たちとティファがワイワイ騒いでいる中で一人真面目に作業をしているのも少々馬鹿らしくなって、クラウドは手にしていた赤茶けたブロックを地面に投げ落とす。
 既に汚れたシャツの裾で泥の付いた手を拭いながら近づくと、ティファの隣に居た少年が他の子供から尊敬にも憧れにも似た眼差しを集めていた。
「どうした?」
 何事だと問いを投げると、直ぐ側にいたマリンが少年――ケイトの腕を引っ張ってクラウドの前へと押し出す。それから我が事のように胸を張って見せ、歳相応の屈託の無い笑みを見せた。
「ケイトが凄いのよ、クラウド。ね、ティファ?」
「そうね、私もちょっとビックリしたわ」
 主語無く進む会話に思わず眉を潜めながらクラウドがケイト本人に視線で問うと、少年は黒髪を照れ臭そうに髪を掻き揚げ、同じ色をした瞳で見返してくる。
「シのシャープだったよ。さっきクラウドがブロックを投げた時の音」
 云われた言葉の意味が一瞬飲み込めず、思わずクラウドはソルジャー特有の不思議な色合いを持つ瞳を瞬かせた。
 それから、あぁ、と納得したような吐息が我知らず漏れる。
「ケイトは音が全部ドレミで聞こえるんだって」
 凄いよね、と我が事のように興奮の色を見せたマリンに腕を掴まれ、クラウドは答えることが直ぐには出来なかった。
「マリンの声は高いからなぁ……僕、クラウドの声が好きだよ。音になると歌を歌ってるみたいで」
「何よそれ、失礼しちゃうんだから!」
 ケイトとマリンの遣り取りに廻りを囲んで居た子供たちが笑い出し、高い空に響き渡る。しかし、それすらも今のクラウドにとっては何処か遠くで聞こえていた。
 ――俺さ、お前の声が一番好きだな。
 頭の奥でリプレイされる古い記憶。未だ完全とはいえず、思い出せないことも多いクラウドの頭の中で、何かがチカリと光る。
 ――お前の声、歌ってるみたいなんだ。特に、さ……
 懐かしい声が耳の奥でこだまし、それがクラウドを落ち着かない気分にさせた。優しいその声の方が歌っているようだと思い、そんなことを考えた自分に驚いて、クラウドはマリンに掴まれていたのとは反対の手で口元を覆う。
「クラウド?」
 そんなクラウドの様子に気付いて、ケイトが不思議そうに首を傾げた。
 視界がぶれる。
 幼い顔に、同じ黒い髪をした男の顔が重なる。あの男も、魔胱の色彩を宿す前の瞳は黒かったと云っていた。
 ――クラウド
 呼ばれる声が、似ても似つかない筈なのに被る。
「……あぁ、悪い」
 ケイトをはじめ、集まっていた子供たちの視線が自分へと向いていることに気付いてクラウドは苦笑を漏らした。
 大丈夫、ちょっとボケっとしてた、と心にも無い台詞を尤もらしく口にして、彼にしては上手くなった笑顔で誤魔化す。ティファだけが何か云いたげな視線を向けてきていたが、それには気付かない振りをした。
「絶対音感ってやつだな。今の時代、結構貴重な存在かもしれない」
 そう云ってケイトの黒髪を撫でてやると彼が嬉しそうにくしゃりと笑い、それが不思議な既視感を伴ってクラウドを襲う。
 胸が痛くて、苦しかった。
 理由は何となく解っている。小さな切っ掛けを得て閉じ込められていた記憶がゆっくりと溢れだし、それが脳髄からゆっくりとクラウドを侵食しているのだ。
 ――お前の声が一番好きだ。
 頭の中で何度も繰り返されるその声にクラウドは気付かれないように唇を噛み、会話が途切れたタイミングを見計らうと、用事を思い出したと子供たちの和から離れ教会の崩れたドアを潜る。
 背中にはティファの視線が張り付いたままだった。
 
 
「ツェー、デー、ゲー、アー……」
 クラウドが携帯のボタンを押す度に鳴る機械音に合わせたように、歌うような低いテノールが耳に届く。
 ツェーだとかアーだとか、何を云っているのだろう。ついに耄碌したか、とベッドを振り返れば、情事の後を色濃く残したシーツの中、これまた裸のままのザックスが鍛えられた身体を隠すでもなく、枕に頬杖を突いてシャツを羽織っただけのクラウドの背中を眺めていた。
 さっきから何をぶつぶつ云っているのだと、そう問い質す前にコールが繋がり、受信機から上官の声が聞こえてくる。電話越しにも大きい彼の声は、ベッドに居るザックスにも聞こえているのだろうか。
 一般兵のクラウドは、ソルジャーであるザックスに比べれば緊急の呼び出しが少ない。とはいえ皆無ではなく、時には軍支給の携帯に遊びへと誘う同僚以外の電話も入る訳だ。
 今の電話もその一つで、クラウドが応答する前に切れてしまった上官からの連絡へのリダイヤルだった。
 脱ぎ捨てられた衣類の中で存在を誇示するように鳴った携帯に出ようにも、運悪く抜き差ししたりされたりの真っ最中ゆえに抜き差しならない状態にあったのだから仕方がないと、クラウドは求められてもいない言い訳を胸中で漏らす。
 上司からの連絡といえば大抵は緊急連絡で、その殆どは1時間後に集合等という不当な召集命令を出されるのが常である。
 わざわざオフの――それも遠征からザックスが帰ってきた日に呼び出すことも無いだろうに、とは思うものの、上司のコールを無視出来る立場でもなく、一段落したところで伸びてくるザックスの腕から逃れて床に転がっていた携帯を拾った。
「はい。……はい、解りました。了解」
 会話の内容を表情に出すことなく通話を切ったクラウドの様子を窺いながら、ザックスは頬杖を解くと腕を伸ばして指を掠めたクラウドのシャツを軽く引く。華奢な身体には大きすぎるそのシャツの、本来の持ち主はザックスだ。
「アックスからか? 緊急命令?」
 一般兵の上官は所詮一般兵の上官。ソルジャー・セカンドであるザックスから見れば格下の相手であり、普段は相手の地位など気にも留めないザックスも、流石に恋人との甘い時間を横取りされるとなるとそうも広い気持ちで居られないらしい。不機嫌です、と顔に書いたように唇を僅かに尖らせ眉を寄せて見せた男の表情にクラウドは思わず瞬き、パタンと携帯を畳みながら小さく吹き出した。
「自分が呼び出される時は、最中でも置いていくくせに」
 ザックスがギリギリまで自分との時間をもぎ取ろうとしながらも、甘くない現実に不承不承ベッドを離れる何時ものパターン。その時のザックスの心情などは手に取るように解るが、あまりに子供染みた表情を見せ付けられて、つい意地の悪い言葉がポツリと零れた。
他意はない。ただ少し、珍しくも子供っぽい表情を見せたザックスを揶揄かいたくなってしまっただけ。
「そりゃお前、俺のは仕事だから……って、お前のも仕事なんだけど……」
 切り替えされた正論に思わずしどろもどろになりながらも、この答え方だとやっぱりクラウドは緊急招集で出掛けてしまうのかと、諦めにも似た溜息が漏れた。
 普段自分がしていることを思えば、偶のクラウドの召集なぞ可愛いもの。云い替えれば、何時もクラウドにこんな気持ちを抱えさせているのは自分の方が遙かに多い訳で。あまりごねるのも男らしくないなぁ、などと思いつつも、クラウドのシャツを掴んだ指はザックスの意思に反し中々離れようとはしてくれなかった。
 暫しの沈黙。多分、ほんの一分程度。
 ザックスが大人らしく「行って来い」と送り出せばそれで済む。そうでなくとも、公私はきっちり分けるタイプのクラウドが「もう時間だから」と切り出しても二人の甘い時間は終わるのだ。
だがしかし、今はどちらも何も云わず、ザックスは惨めったらしくクラウドの羽織ったシャツを掴み、クラウドはクラウドで手の中の携帯を弄びながらそんなザックスの手元に視線を落としている。
「なぁ、ザックス」
「……ん?」
 沈黙を破って呼ばれた名前に、やっぱり時間なのかとザックスは視線を合わせてきたクラウドの薄いアイスブルーの瞳を見返した。
 しかし、返ってきた言葉は彼の予想に反するもので。
「さっきの、何?」
「は?」
「だから、さっきなんかブツブツ云ってただろ」
 クラウドとの会話は難しい。唐突に自分の用件だけ告げたり、主語の無い喋りが多いのだ。
この時も例に漏れず主語が無く、何の話だと首を傾げたザックスにクラウドがムッとしたように眉根を寄せた。自分の云った言葉がストレートに相手に伝わると勘違いしている分、少々扱いに困る。
「俺がコールしてる時に、アーだとかツェーだとか……なんか云ってたの、あれ、何?」
「あぁ……あれか」
 漸く要点を掴めたザックスが口の端を持ち上げて小さく笑い、どうやらまだ時間が有りそうなクラウドの腰へと腕を廻し直し、ベッドへと引き寄せた。
 嫌なら抵抗するだろうと思っていたが、その抵抗も無くクラウドは大人しく身体を預けてくる。寝転んだままクラウドの背中を抱き込むようにして腕を廻し、わざわざシャツの下に手を入れて腰の辺りで抱き締めた。久し振りに触れた自分より低い体温を、身体が貪欲に求めている事に改めて気付き、それをもっと近く引き寄せながら白い首筋に顔を埋める。
「……ソルジャーになって暫くしてからなんだけど」
「うん」
「音が……なんてのかな、音階に聞こえるんだ」
「?」
 ザックスの言葉の意味が解らないように、クラウドが抱き締められた腕の中でもぞりと身じろぎ向き合うように体勢を変えた。肌蹴たクラウドの胸元がザックスのそれと合わさり、トクトクとどちらのものか解らない心音が重なる。
「例えば、お前が携帯のボタンを押す度に音がすんだろ。あれが、ドレミって聞こえんだな」
「音楽家か、アンタ」
「だから、ソルジャーになってからだって云ってんだろうが」
 多分魔胱の力の所為。人ならざる力を入れて、その片鱗として現れた力なのだろう。
「でも、なんかソルジャーに必要なくないか、その特殊技能……」
 真顔で返されて言葉に詰まる。別に最初から役に立つと豪語していた訳でもないし、何の役にも立たない上に日々の雑音がメロディみたいに頭に入ってくるのは正直ウザったいな、などと自分でも思ってはいたのだ。  けれど、それを改めて口にされるとなんだか少しグサっと胸に来るものがある。クラウドが夢見る乙女でも、歯に絹着せるどころか毒舌に近いリアリストなのも重々承知していることだ。今のなんて、今までの経験上まだ可愛げのある応答だったと思う。
 そして、そんなつれない恋人の一言さえ「音」として聞いてしまえば酷く心地よく響く音階に変わってしまうのだ。
「まぁ、でも……お前の声とかが音楽っぽく聞こえるのって、ちょっと得した気分っつーか」
 自分に都合の悪い言葉も、クラウドの唇が紡ぐ音になってしまえば心地が良い事実。
「俺さ、お前の声が一番好きだな」
 シャツの裾から差し入れた手で背中を辿り、すっかり汗の引いた肌を擽るとクラウドが小さく肩を震わせる。サイズの合わないシャツの中で身体を竦める仕草に、クラウドの身体が一回り小さくなったような錯覚を覚えてザックスは口端を歪めて笑った。
 緊急招集は、と耳元に吹き込むようにして問うと、召集じゃなかった、とクラウドが口の中で小さく呟き、何を思ったのかザックスの前髪に指を伸ばしてくる。
「俺の声も、音に聞こえるの?」
「うん? あぁ、基本的には音に聞こえるというか……」
 そんなような感じだな、と自分でも説明がし難いのかザックスは頷いてみせた。
「銃声とか、エンジン音とか、そういうのも全部?」
 興味をそそられたのか、ザックスの髪を掻き揚げ指に絡めるようにして遊びながら、クラウドが珍しく矢継ぎ早な質問を浴びせる。
「全部」
「俺以外の人の声とか、チョコボの鳴き声とか、バイクの音とか、シャワーの音とか、全部か?」
「あぁ、全部」
「……ふぅん」
 真顔で肯定を返すとクラウドが思案気に眉を寄せてみせ、あんまり良く解んないな、とポツリと呟いた。その様子にザックスは瞳を細めて笑うと、ツゥとクラウドの背中の窪みを腰へと爪先で撫で下ろす。あっ、と短い声がクラウドの薄い唇から漏れた。
「お前の声が、俺は一番好きだぜ」
「……なっ」
 改めて云い直された言葉に、何を云っているのだとクラウドが微かに目元を染める。その間もザックスの指は動きを止めることなく、尻の狭間へと辿り落ちた。
「喋ってる時のお前の声、低くも高過ぎもしねぇし、なんかスゲェ落ち着いて好きだ」
「なん、で……?」
 無遠慮に入り込んできた指先に思わず声を震わせ、先刻の名残を残す身体の中を弄るザックスの指にクラウドは熱っぽい吐息を逃す。その吐息の一つすらもが酷く扇情的だと、当の本人は気付いているのだろうか。
「好きな奴の声だから、余計に好き……なんつって」
 冗談半分に云ったその言葉に何時もの無表情を貫き通しながらも、その実クラウドが動揺していることが身体を穿っている指に伝わってきた。そのままクイっと後ろを穿った指を動かしてやると、ヒクリと身体を震わせてクラウドが甘い声を小さく漏らす。
「……っ、ん……馬鹿……」
「お前の声、歌ってるみたいなんだ。特に、さ……」
 言葉と共に更なる喘ぎを引き出そうと、身体の内を弄り擦る指の動きが激しくなった。半刻ほど前までザックス自身に穿ち犯されていたそこが、すぐさま快感を拾い上げ息が上がる。
「……ぁは……ん、っ……」
 感じる部分を指先で抉られれば、火種の残っていた身体は直ぐに燃え上がり、その興奮は密着した肌越しにザックスへと正直に伝えられた。
 覆い被さるように抱き締めていた身体をベッドに押し付けると、ザックスは含ませた指はそのままにクラウドの肌に絡まるシャツを脱がせに掛かる。膝を割り、足が閉じるより先に身体を割り込ませると、既に頭を擡げたクラウドの屹立が震えトロリと先走りを滴らせた。
「セックスしてる時の、そういう声とか」
「……ぁあ、……ザックス……ッ……」
「なんか歌ってるみたいで好きだ。俺の名前呼ぶお前の声も、全部旋律が有るみたいに聞こえて」
 好きだよ、と耳元で低く甘く囁きを吹き込まれて、クラウドは耳まで赤く染める。
「……あっ、はぁ……ぁん……っぅ……」
 お前のそのやたら甘くて恥かしい囁きの方が歌っているみたいだなんてことを思い、云い返してやろうと思ったところで引き抜かれた指の変わりに深く身体を穿たれて、言葉が喘ぎに消えた。

 それはもう、随分と昔の出来事。

「なぁ、アンタの耳にはまだ俺の声は歌っているみたいに聞こえるのか?」
 横殴りの風が砂を巻き上げ、遠くに見えるミッドガルの姿を霞めた。地面に刺したバスターソードから応えが返る筈も無く、クラウドはキツク唇を噛み締める。
 既に錆び付いたそれが失った年月の大きさを訴えているようで、居た堪れない気持ちになった。
 ザックスのことを思い出した今でも、細かな事までは思い出せていない現状。ただ、とても大事な相手で有った事は誰に聞かずとも明白で、それだけに彼との思い出を記憶の奥深くに埋め隠してしまっている自分が申し訳ない。きっと優しい記憶が彼と過ごした年月の分だけあって、その中で彼は生き続けているだろうに。
 今日思い出した彼の一端も、やはり愛しく温かかった。
 知らず溢れる涙に、クラウドは声を押し殺して泣く。
 彼はきっと自分のこんな歌を聴いたら困った顔をするだろうと、そんな事を考え、風に晒され朽ち掛けたバスターソードをクラウドはそっと抱き締めた。




2006.08.16