スキトキメキトキス
二〇〇×年十月一日。
午後八時三十二分二十一秒。
都内某所高層マンション最上階。
そのキッチンから不規則な包丁の音と、やはり不規則にコトコトと鍋の揺れる音が響く。
白を基調としたシステムキッチンには皿や野菜が散乱し、その状態を作り上げたのであろう本人は一生懸命に包丁を握りながら胡瓜と一戦を繰り広げていた。
長い金髪を背中で束ね、既に肌寒い季節になったにも関わらずノースリーブのコットンシャツに黒のスパッツという軽装で青いエプロンを掛けているのは、この部屋の主に数ヶ月前に引き取られた少年・六太である。
何の見返りも期待せずに自分を引き取ってくれた養い主に、何か出来ることはないかと問うた結果、返された言葉は「飯を作れ」だった。
始めは失敗を繰り返してばかりだったが、最近は大分まともなものを作れるようになった、と不揃いながらも切り終えた胡瓜をサラダのボールへと盛り付けながら六太は満足げに一人微笑んだ。
隣の鍋を覗くと、火に掛けられたままのそれはコトコトと美味しそうな音を立て、鍋の中のカレーは微かに気泡を浮かせながら食欲をそそる匂いを漂わせて。それをお玉に一掬いしてから小皿に取ると、そっと唇を寄せて舐めるように味を見る。
「あ、美味しい」
もう少し煮込めば大丈夫、と小皿に残ったカレーを舐め取りつつ呟くとそれを流しへ下ろし、鍋の蓋を閉め直しながら六太は視線をキッチンカウンタ越しにリビングの掛け時計へと流した。
時間は九時十分前。それを確認してから鍋を掛けた火を弱火にすると、六太はサラリと髪を結わっていたゴムを解く。
軽く指を潜らせるようにして金糸を梳いてから、エプロンを外そうと両手を後ろに回したところでインターホンの音が部屋に響いた。
それに気付いた六太は知らず嬉しげな笑みを零すと、エプロンの紐を解くことも忘れて玄関へと足を向ける。
パタパタとスリッパの音を響かせながら玄関まで来ると、片手をドアの縁へと置いて体を支えながらゆっくりとドアノブを回した。そのまま腕ごと身体を伸ばすようにドアを押し開けると、その向こうに見えた姿を上目遣いに見遣る。かち合った視線に微笑まれると、六太ははにかむような笑みを返して。
「お帰り、尚隆」
小柄な身体を目一杯に伸ばすようにして扉を支えている所為か、僅かに震えた語尾で言葉を紡ぐと、そのまま押さえていたドアを外側から引かれて前のめりに体勢を崩す。
「―――っ!」
「ただいま。というか、無理な体勢でドアを開けるなと何時も言っているだろう?」
危うく地面へと傾きかけた体をしっかりと支えるように抱き取られ、間近になった嗅ぎなれた煙草の匂いと言葉に大きな瞳を更に大きく瞠ると六太は居心地悪げに一つ身じろいだ。
「……尚隆。も、大丈夫だから」
腕の中でもごもごと呼ばれた己の名に笑いを零す尚隆を見上げると、聞こえない振りをするつもりなのか、緩まることの無かった腕にそのまま抱き上げられて。片手で六太を抱き上げたまま空いた手でドアを閉めると、尚隆が下から覗き込むようにして顔を近づけてくる。急に詰められた距離に驚いたように、反射的に身体を引くと僅かに見下ろす形になった尚隆が小さく吹き出した。
「それほど警戒するな。玄関ではなにもしないから。……それより、良い匂いがしているな?」
今日は指を切らなかったか、と問いながらも靴を脱いで部屋へと上がった尚隆に六太は一つ頷き返す。
「今日はカレー作ったんだ。指、ちゃんと切らなかったし」
抱き上げられ、感じていた居心地の悪さを忘れたように嬉しげに言葉を紡ぐと、そうか、と短い頷きが返された。
「朱崎がお前に料理をさせるな、と酷く怒っていたのだが。その様子だと大丈夫そうか」
意外と筋が良いのかも知れん、と笑う尚隆は六太を片腕で抱き上げたまま寝室へと足を向ける。遠ざかる玄関を肩越しに眺めながら緩く首を傾げると、六太は視線を尚隆の顔へと戻した。
「おれが出来ること、それぐらいしかないし。遣ってると結構楽しいから」
「一人で家に居るのが寂しいなら、調べて手続きをしてやるから大学でも通うか?」
「……んー、考えておく。別に寂しくは無いけど」
寝室のドアを片手で開けながら問われた言葉に曖昧に頷きを返しながら、もう下ろして、と軽く尚隆の肩を叩く。しかし緩く首を振っていなされると、そのままベッドまで運ばれ、シーツの上へと静かに下ろされた。
部屋全体が深い青で統一されたこの部屋は、カーテンからベッドカバー、シーツまで全て同じ色で纏められている。最初は居心地の悪さを覚えた部屋も、使い慣れてしまうと意外と馴染んでしまうものらしい。そんなことを思ったところでくしゃりと髪を撫ぜられた。
「俺が着替え終わるまで待っていろ」
言いながらクロゼットへと向かう尚隆の背中を頷きと共に見遣り、下ろされたベッドの上で身体を丸めるようにして膝を抱える。如何にも高そうなスーツの上着を脱ぎ、それをハンガーへと掛けてクロゼットに戻す仕草はそれだけでもどこか魅力的だと、ぼんやりと考えながら広い背中を眺めていた。
脱ぎ落とされたワイシャツが床へと放られ、それを視線で追ったところで振り返った尚隆に気付く。どうした、と揶揄するような視線に問われると、内心を見透かされたようで六太は何度も頭を振ってみせ、それに低く笑いながらスラックスも脱ぎハンガーへと掛けると、尚隆は綺麗に筋肉のついた身体を惜しげも無く晒しながらクロゼットの中からゆったりとした白の上下を引っ張り出す。取り出したそれへを相変わらずのんびりとした動作で身に付けると、見惚れたように一通りの所作を眺めていた六太へと向き直った。
「お前が今の会社を建て直せたの、なんか解る気がする」
全てがしっかりしていて揺ぎ無い、だから誰もが従わざるを得なくなる。この男は、人の上に立つ者にとって何が大切なのか、感覚的に知っているのだろう。そう思って無意識に零れた呟きを聞き留め、尚隆は可笑しげに瞳を眇めると六太の隣へと腰を下ろした。
六太一人が乗ったぐらいでは揺るがぬベッドが、更なる重みを受けて小さく悲鳴をあげる。
「お前も、本当に年の割には可愛げの無い事ばかり口にするな」
そう言いながら伸ばされた腕に気付き、六太が身を引くより先に小柄な身体は楽々と抱き取られ、尚隆の膝の上へと抱き上げられた。
「……っ、尚隆!」
背中から覆い被さるように密着させられた体温と、鼻腔を擽ったほろ苦い煙草の匂いに一つ鼓動が高鳴った。
この部屋で暮らすようになってから覚えた、甘い痺れを思い出してか六太は小さく身体を震わせて。それに気付いた尚隆が腰へと廻していた腕を片方解き、そのまま唇をそっと耳朶へと寄せる。
「別に大学なんて行かなくても、一生俺が面倒を見て遣るが。……折角の才能をこのまま見逃すのも勿体無いな」
「……ぁ……尚隆、ちょっと……っ」
耳元でそっと囁くように紡がれた言葉が背筋を甘くなぞり、吐息を紡いだ唇に耳朶を甘噛まれると六太はヒクリと肩を微かに跳ねさせた。それに気を良くしたように、解いた腕を外さぬままだったエプロンの中へと差し入れると、尚隆は薄手のコットンシャツの胸元を指先で擽り撫ぜる。その度に身体を走る甘ったるい感覚に緩く眉根を寄せながら、制止の言葉を紡ぐことも忘れて六太は尚隆の胸へと寄り掛かるようにして背中を預けた。
「……お前は胸が好きだな、本当に」
「ゃ、……違う……っぁ……」
耳元で囁かれた言葉に嫌がるように頭を振ったところで、胸元を撫ぜていた指先に既に硬く尖った突起を摘まれ小さく腰が震える。何処が違うんだ、と意地悪く囁きながらシャツのボタンに指を掛けると、尚隆は細い首筋へと一つ口付けを落として。小さく音を立てて吸い上げられると、柔い肌は簡単に紅い痕を残した。
「今日はまた随分と魅力的な格好をしているな」
誘う気だったのか、と暗に問われて微かに上気していた頬が更に朱を乗せる。
一年を通して空調が効いているこの部屋では、この時期にノースリーブのシャツを着ていても何ら不都合は無い。そう言葉を返そうと動かした唇は、外されたボタンに直接素肌へと触れた温もりにあえかな声を零した。
「……ん、っ……ふぁ……」
肌を擽られる度に腰へと甘ったるい熱が蟠り、六太は知らずもどかしげに腰を身じろがせる。それに気付いた尚隆が微かに吐息で笑うと、またきゅっと突起を捻る指へと力を篭めた。それにヒクリと胸元を喘がせると、何時の間にか袖を抜かれていたシャツをするりと引き抜かれて。
弄られていたのとは反対の突起が掛けられたままのエプロンに擦られ、それだけの刺激に肌が粟立った。
「こっちも、触って欲しそうだな?」
シャツを床へと落とした指が再度エプロンの下へと忍び、臍の周りを擽るように撫ぜてから少しずつ下へと移される。胸への刺激に既に勃ち上がっていた性器を布越しに撫ぜられると、それだけで達してしまいそうにヒクリと身体が戦慄いた。
まだ幼いそれを摘むように指で押し揉まれ、屹立の先端から溢れた体液が布に染みるのを自覚した六太は羞恥に頬を染めたまま、それでも胸と共に与えられる刺激に押さえ切れないように心地良さげな喘ぎを惜しみなく零して。
「……ぁ……んっ、……ひ、ぁ……ッ」
不意にスパッツの中へと差し入れられた掌に直接硬く張り詰めた屹立を握り込まれ、喘ぎが微かに上擦った。
「こんなにして、気持ちイイか?」
先端を指の間で擦るように弄られるとそれだけで腰へと痺れるような快感が走り、耳元で囁く尚隆の声さえにも情動を駆られる。腰を強請るように揺らすと、笑う吐息に耳元を擽られて。
少し腰を上げてみろ、と囁かれた言葉に素直に従うと胸を弄っていた指が離され、その手でそのまま下着ごとスパッツを引き下ろされる。些か乱暴な仕草でそれを足から引き抜かれ、ふと視線を上げると肌を覆うのは青色のエプロン一枚のみだという事に気が付いた。
カーテンを閉め忘れられていた窓が男の膝の上で乱れる痴態を映し出し、それに瞠目すると六太はふるりと細かに身体を震わせながら、それでも強請るような腰の動きを止められずに喘ぐ唇を噛み締める。
「……は……ぁ、も……尚隆……っ」
膝下へと差し入れられた手に足を大きく開かされ、捲り上げられたエプロンにトロトロと蜜を垂らし張り詰めた屹立が晒しだされると、嫌がるように頭を振りながら瞳を伏せた。しかしそれも束の間、直ぐに先走りに濡れた指に顎を取られ、視線を逸らせぬように顔を固定される。鏡代わりとなった窓へと映された自身の姿に緩く眉を寄せると、首筋へと顔を埋めている男と視線が絡んだ。
行き場を無くしていた手を取られ、それを自身の性器へと導かれると戸惑ったように尚隆へと哀願にも似た視線を向けるものの、頭を緩く振るだけでいなされる。
「……や、ちゃんと……っあ…………ん、ぁ……」
「ちゃんと、なんだ?」
喘ぎに呑まれて消えた言葉に尚隆は意地悪く笑うと、明日はこの格好での出迎えを所望するぞ、と揶揄うように言葉を足した。そのまま屹立を握らされた手へと掌を添えられ、促すように上下に動かされると先走りが溢れて、扱く動きに合わせたように濡れた音が部屋へと響く。
「ぁ、……ンァ……は……ッ」
ゆっくりと煽られる快感に、重ねられた手が離されたことにも気付かずに。感じる部分を拙い動きで擦り上げながら、六太は広げられた足を微かに身じろがせた。
頬を紅潮させながら薄く開かれたままの唇が甘ったるく喘ぎを漏らす。その表情は何処か恍惚としていて、尚隆は窓に映る六太の姿にそっと瞳を細めた。先走りの体液に濡れていた手をエプロン越しに胸へと辿らせ、幾分硬い布地の上からでも解る突起を爪で引っ掻くように愛撫すると、膝の上の身体がヒクンと小さく戦いて。
「ここ、イイのか?」
柔らかく耳朶を甘噛みながら低く問うと、何度も小さな頷きだけが返される。肩越しに視線を落とし、屹立の先端から零れる先走りが白く濁ったのを認めた尚隆がきゅっとキツめに布越しの突起を摘み上げると、背中を撓らせるようにして六太が一際大きな嬌声を上げた。
「……あぁッ、……ン……はっ……ァ……ッ」
抱かれた膝の上でビクビクと細かに身体を震わせ、身体を走り抜けた快感に目許に涙を浮かべながら、己の手を濡らした体液に六太は泣きそうに唇を噛む。自慰を見られた罪悪感にも似た感情に、目尻に溜まっていた涙が一筋頬に流れた。
「気持ち良かったか?」
肩越しに首を伸ばすようにして頬を濡らした涙を舐めとって遣りながら、問いを足すと尚隆は白濁に濡れた手をそっと引き寄せる。大して量の多くないそれに小さく笑うと、緩く舌を伸ばして口許へと引き寄せた指先を舐め清めて。
「―――ッ……」
指の股まで丁寧に舐め拭われる感触に吐息を震わせながら、六太は未だ残る快感の余韻に緩々と身体を弛緩させ、背中を尚隆の胸へと預け直した。まだ早い鼓動を落ち着けるように、深い呼吸を繰り返しながら薄っすらと瞳を開く。視線の先には変わらずエプロンだけを肌に纏わり付かせた自分の姿が映し出されていた、それが酷く居心地の悪い気分にさせる。
腰へと回された腕に抱き直され、再度項へと落とされた唇に小さく鼻を鳴らし、そこでふと六太は違和感を覚えたように眉を寄せて。
「……あ。」
「……ん?どうした?」
肌へと唇を押し当てたまま首を傾げた尚隆に応えを返さずに、視線だけを部屋の時計へと向ける。
十時五分前。
「…………カレー……焦げてる」
ふと思い出したように呟き、微かに鼻腔に届いた焦げ臭い匂いの正体に気付くと、六太は回された腕をこっ酷く叩きながら膝の上から降りた。そのまま睨むように振り返ると、些かバツの悪そうな尚隆と目が合って。
「バカバカバカバカバカ!俺が折角頑張って作ったのに!!」
「……解った、解った。俺が悪かったから殴るなっ」
先程までの大人しさは何処へやら、引き寄せた枕で殴ってくる六太に苦笑を零しながら、尚隆は逃げるようにベッドから腰を上げた。
不幸にも振り回されている枕を六太の手から救ってやると、それをシーツの上へと投げ置きながら尚隆が屈んで掠めるような口付けを一つ贈る。
不意に触れた唇の感触に振り回していた手をピタリと止めると、驚いたように六太は数度瞬きを繰り返して。そんな様子が可笑しかったのか笑うように瞳の眇められた顔を見上げると、宥めるように柔らかく髪が撫ぜられた。
「俺が悪かった。火を止めて、代わりに何か作ってやるから大人しく待ってろ」
早口にそう言葉を紡ぐと、返事を待たずに尚隆は足早に寝室を後にし、ドアの閉められた音だけが室内に残った。
閉じられたドアを凝視したまま、六太は緩々と持ち上げた指先で自分の唇をなぞる。
何故だろう。キスなど数え切れないほどした筈なのに、トクトクと心臓が早鐘を打つ。
そんな自身の気持ちにどうして良いのか解らなくなったように、六太は先刻取り上げられた枕を抱え直すと、ベッドの上で身体を丸め、シーツと同じ色の掛布を頭まですっぽりと被り気持ちを落ち着かせるように深く吐息を零した。
「バカ尚隆」
悔しげに一つ呟いてから、耳を済ませると微かに小気味良い包丁の音が聞こえてくる。
一定のリズムを刻むその音に瞳を伏せ、そのままゆっくりと眠りへと誘われて。知らず規則的な寝息を紡ぎ始めると、六太はそのまま揺蕩に身を任せた。
2002.10.01