日常

 

 特に何がどうと言うのではなく。
 理屈ではなく、それが当たり前の事として。
 共に在る事が自然になってしまったら、きっともう引き返せないのだろうと思う。
 それも、その状態が数百年もの間続いてしまえば尚のこと。互いに知らない部分の方が少なくなり、別離という言葉さえもが考え付かないほどに近くに。
 そんなことを考えながら、六太は暖かな寝台の上で一つ寝返りを打った。
部屋の中の空気はひんやりとしていて何も纏わぬ肌には些か涼しげだが、廻された腕の温かさが今はそれも忘れさせてくれている。
 枕代わりにした腕へと頬を摺り寄せるようにして寝心地の良い場所を探し、そっと伏せていた瞳を上げると、近しい位置に意外に整った、今はもう見慣れた顔が目に入った。
 瞳を伏せ、穏やかな寝息を立てるその顔は普段の主からは想像できないほど和やかで。僅かに疲れた印象は受けるものの、それも出会った頃に比べれば大分マシになったと六太はぼんやりと考える。
 あの頃はきっと二人とも疲れて果てていた。
 尚隆は一族を守ることだけが全てで、そしてその一族を守ることも出来ず。
 自分は、王を選べずに、ただ心の中の蟠りだけが日々大きくなっていて。
 なによりも、お互いに必要とする半身を得ていなかった。天命によって出会うべくして出会い、補い合ったからこそ今もこの場所に存在している。
 例えばもし、今この男から離されてしまったとしたら。きっと自分は生きていけないのだろうと、何処か漠然とした感覚として理解していた。言葉では言い尽くせない、絶対的な何か。
 なら、この男はどうなのだろう、とそんな疑問が微かに頭を過ぎる。
 麒麟の一つや二つなくとも大丈夫だと、そう豪語するだろうか。
 そもそも麒麟亡き後に王のみが生き残れる筈が無いのだから、そんなことを考えることが既に何処か可笑しいのだと一人苦笑を零し、六太は寝息を紡ぐ唇へとそっと指先を伸ばした。
 微かに漏れる吐息を指先で受け止めながら、そっとその輪郭を辿る。
 もっと熱いものだと思っていた唇が、意外に体温が低いと知ったのは何時だっただろう。
「――……っ!?」
 三百年、四百年、五百年、思い出すのも難しくなってしまっている記憶を緩々と辿っていたところで、不意に指先に触れた濡れた感触に驚いて瞳を瞬いた。
「……足りなかったか?」
 触れさせていた指が暖かい粘膜に包まれ、微かに濡れた音を立てて吸い上げられる。甘く指先から走った痺れに小さく肩を竦めたところで、聞き慣れた声が鼓膜を震わせた。
 かち合った瞳に、違う、とそう言葉を紡ぎ掛けたところで廻されていた腕に身体をきつく抱き取られ、くしゃりと柔らかく髪を撫ぜてから合わせられた額に顔を見返すと、間近な瞳が柔らかく細められる。
「……まだ、空は白んでも居ないだろうが」
 もう少し眠っていろ、と僅かに掠れた声で囁かれ、諦めたような溜息が一つ零れた。
 何時だって、この声で紡がれた言葉は自然と身体の隅々まで行き渡り、心地良くて従わずには居られない。
 急に眠気に襲われたような感覚に陥り、我ながら現金なものだと緩く身じろいだところで再度立てられ始めた寝息に気付いて、六太は思わず身じろがせていた身体の動きを止める。
 主たるこの男は、意外に寝汚く寝起きが悪い。
 今の言葉も、下手をすれば寝言の一つだったのかも知れないと、そう思いながら寝顔を眺めていると廻された腕の力が強められた。抱き込まれるままに身体を寄せると仕方なしにそのまま緩々と息を吐き、そっと瞳を伏せる。

 夜明けまで、もう少し。




2002.08.01